本の紹介

本を読めなくなった人のための読書論


「著者の若松英輔さんは若い頃、育児用品と介護用品のメーカーで営業マンをしていました。特に趣味もなく読書が楽しみだったようです。そして批評家としていつかは自分の本を世に送り出したいと言う願望がありました。

そんな彼でも本を読めない時期があったそうです。
忙しさにかまけてゆっくりと自分の時間を持つことができなかった時です。
そういうときの読書は文字は追っているんだがその言葉が心に響いてこない。
内容は理解できても手ごたえを感じられない。
言葉に見捨てられたような感じがしていたそうです。とにかく当時は仕事に追われていた。
そんな時期には周りの人にも迷惑をかけていたと思う。
さらに大切な人だけではなく言葉と言う自分にとって最も近しい存在との関係も悪くなっていったそうです。
その原因は「ひとりの時間」が決定的に不足している事でした。
自分でも何となくまずいなとは思っていたようですが、それに目をつぶり仕事に突っ走ったようです。

『人生には様々な気づきがあります。
誰かと話し合う中でしか感じられないこともありますが、ひとりの時にしか気づけないこともあります。
対話は大切です。
誰かとの対話は独りよがりを改めてくれます。
しかしそれとは別にひとりになってみないとわからないこともあります。
読書はひとりであることと、対話が同時に実現している、とても不思議な出来事なのです。
「読む」とは「ひとり」であるところに始まる、言葉を通じて行う無音の対話なんです。
ですから私たちは本から聞こえてくる声を受け入れる準備をしなくてはなりません。
ある人はとても大切なことを小さな声で語るかもしれません。
何も言わないで沈黙の中から何かを感じ取ってほしい、そう言うかもしれないのです』

以上、ほぼ、「はじめに」の文章から引用を、させていただきました。

僕にとって高校時代以来、生きていく上で
読書は欠かせないものでした。
別に本を読んだからといってすぐに幸せになるわけでもなく、成功が得られるものでもありません。そういう方もいるようですが、私はそういう事にはなりませんでした。どちらかと言うとある日突然読書をしていたおかげでご褒美をもらえると言うことがたくさんあったように思います。
それでも時々本が読めなくなる時がありました。
そんな時に無理矢理読んでも全然文字が頭に入ってこなかったし、嫌気がさして本が嫌いになってしまうこともありました。
不思議なもので読書をしなくなった生活に慣れてしまうと、どんどん周りに流されている自分がいました。
恐ろしいことにそれに気づくときには、状況がかなり悪くなってからのことが多かったように思います。
今から思えば人生の良い時でも悪い時でもコツコツと淡々と日々読書を続けておけばよかったと思いました。
そういう読めなくなったときに、手元にこの本があれば! と今とても悔しがっています。
同時にこの本を常に身近に置いておけば、いつでも読書スランプから立ち直ることができると思い、これからの読書生活に対してワクワクが止まりません。
社会的に成功していようが、大金持ちになろうが、心が豊かになっていない限り幸せはありえないと僕は思います。
逆に心が豊かになり、日々穏やかに過ごすことができたとしたら、既にその時点で幸せな人生と言えるのではないでしょうか。.
ぜひとも豊かで心穏やかな人生を送れるように読書をゆっくり楽しんでみてほしいと思います。そして読めない時はこの本をパラリとめくってみると良いのではないでしょうか。」

以上が、僕自身のAmebaブログで書いた日記でした。

今はこれに付け加えたいことがあります。

この本を読むことで何が僕に起きたか?
それは、「書くことの重要性」に気づかされ、実際に書き始めたこと。
そして、それによって、やや息詰まっていた僕の人生が、新たに回り始めた、ということです。
読むだけで、書かない、話さないでいたことで、僕の中でバランスが崩れておかしくなっていたことに気づかされました。

さらに、この本から始まった様々な連鎖反応が起きました。
少し大袈裟かもしれませんが、死ぬまでやり続けたいことが見つかりました。

という感じです。
こんなに小さな本が、新たに生きる原動力を与えてくれたような気がします。

「読むと書く」、そして、「生きがい」について、こだわって書いていきたいです。